自己肯定感

自己肯定感

子育てについて勉強していると、“自己肯定感”という言葉をよく目にします。自己肯定感とは読んで字のごとく、「自分自身を肯定的に捉える感覚」ですね。

もう少し分かりやすく言い換えると、「自分は大切な人間だ」と自ら認める感覚と言えるでしょうか。

自らの能力や容姿にかかわらず、自分にはこの社会で生きていくだけの価値があり、周囲の人々もそれを認めてくれている。そんな、生きていく上で本来“当たり前“とも言えるような感覚です。

他人を尊重し、思いやり、社会や自分が所属する集団の中で役割を立派に果たせるような人間になるためには、前提としてこの”自己肯定感“が必要不可欠なのだそうです。

”当たり前“ではない

GOの目線から現代の社会を見る限り、この”自己肯定感“を持てずにいる人々が非常に多い様に感じます。特に若者に顕著で、能力はあるのに自分でそれを認められないでいる若者も多いです。

自己肯定感が持てないと、他人の価値を認めることが出来ず、また他人からの評価も素直に受け取ることができないため、人に対して信頼感を持ちにくくなります。また、必然的に自分の感情・意見を表現出来ず押し殺す様になってしまいますから、良い人間関係を築くことが難しくなります。

と、勉強をしていく中でふと気がつきました。

「これ、俺のことじゃね?」

自分に欠けていたもの

自己肯定感について調べれば調べるほど、学べば学ぶほど、自分自身のことを学んでいる様な感覚でした。

自分の存在に自信が持てないから、自分自身の価値を認められる材料を常に探し、自分をいつも説得している様な感覚。
自分より優れた能力をもった人の、悪い部分ばかり探してしまう感覚。

友人や親戚の成功・幸せを心から喜ぶことが出来ず、居心地の悪さを感じてしまう感覚。

全て、根っこは”自己肯定感“につながるのでした。

私には、自らを肯定する力が足りなかった。これを知った時には大きな衝撃でしたが、同時に、長年モヤモヤしていた霧が晴れた様な、そんな感覚を覚えました。

家庭環境が大切

”自己肯定感“を育むためには、幼い頃の家庭環境が重要である、と言います。乳幼児期の子供をたっぷり甘やかしてあげて、愛してあげると、自然にその感覚が育つというのです。

私の子供時代の家庭環境は、とても円満とは言い難いものでした。
両親は私が小学1年の時に離婚、その背景にあったのは父親の暴力でした。父は私には甘い人でしたが、母親に対しては別の顔を持っていた様です。そのことを、当時の私も知っていました。想像以上のストレスだったと思います。

また同時に、学校でいじめを受けていました。
教科書を破られ、鉛筆を折られ、顔に唾を吐かれるような日常だったと記憶しています。

結果として教室に入れなくなり、小学校の半分以上を保健室登校で過ごしました。

3歳くらいまでの幼児期をどのように過ごしたのかほとんど記憶はありませんが、このような環境を生きていく中で、身の回りの大人や社会に対する信頼感・安心感は崩壊してしまったように感じていました。そこまでは自覚していました。

しかしそれは取りも直さず、自分自身の価値すらも崩壊してしまった、ということを意味していたようです。

これに気付くと、1つ心配なことが出来ました。
「自己肯定感」を持たない親に育てられた子供もまた、「自己肯定感」を持ち得ないのではないのか?
という疑問です。これは困りました。

円満でない家庭環境で育った私だからこそ、息子には絶対に同じ思いをさせたくありません。

30代にしてようやく気づいた私は、もう手遅れなような気もします。だからといって諦めてしまったら息子が可愛そう。ということで、理性でなんとかすることにしました。

”肯定できない自分ごと肯定する“

それは即ち、”自分を肯定できない自分ごと肯定する“ということです。

理屈でそう言っても、体に染み付いた性格は簡単には変えられません。相変わらず人付き合いは難しいし、自分を説得してるし。それでも、そんな自分ごと、認めてしまおう、という意識を持つことで、気持ちは軽くなりました。

この調子で、自己肯定できない自分も、ワガママ一杯な息子も、愛する奥さんも、全部ひっくるめて肯定してしまおう。そんな、自分自身よりも一回り大きな視点でものごとを見るようになりました。

そんな父の姿を、息子はどう思うか、わかりません。それでも、息子を丸ごと受け入れて、愛してやる。そんな覚悟が出来ました。

子育て=親育て

子育ては、一方的に親が子供を育てることではなく、子供と共に親も成長していくこと。そんなことを強く実感しています。息子くん、一緒に頑張ろうね。

ブロトピ:2歳児のブログ♪

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